三島由紀夫は、東大剣道部から大蔵省、そして割腹。豊岡は、東大剣道部から大蔵省、いまだ割腹せず。今年、令和7年は、三島生誕100年。昭和100年。豊岡の母、好女の生誕100年。豊岡は、好女30歳の子。俊彦が生まれた年に、三島も、母と同じ30歳。当時の、ノーベル文学賞最有力候補。豊岡は、今年70になるに当たり、改めて、三島文学に耽溺。耽溺させてくれるに有り余るほどの、言葉の氾濫。言葉は、次から次にあふれかえって来る。和漢の古典の引用も豊か。こんな作家がいたのか。三島に比べれば、現代作家の文章は、淡く薄く、消え去っていく。般若心経の写経では、一字一字に、仏を書けと諭す。三島文学は、一行一行に、仏が、悪鬼が、観音が、衆生が宿る。
   1ページ読んだだけでも、その濃度の濃さは、尋常ではない。今の世に通じる、絡まりあった、人間模様。表層に隠された、複数の登場人物の、心理を、これでもか、これでもか、と暴く。三島も豊岡も、剣道では、避けない。鶺鴒(せきれい)の尾のように、切っ先を揺らし誘う。相手が誘いに乗って打とうとした瞬間、カウンターで、正面から大きく振りかぶって面を打ち込む。打とうとした瞬間は、瞬間として、相手の剣の起こりが0.01秒早いか、相手が打つことを見越して0.01秒早く、豊岡が打ち込むか。前者は、後の先、後者は、先の先。医学の最新研究によれば、脳の指令で手が動いたと、これまでは考えられていたが、実は、手が先に動く。
 脳へは、手が動いた0.01秒後に、動いたという事後報告。剣道で打とうと思って打つと、打とうと思う一瞬、間が遅れる。背中がヒヤッとした瞬間に切らないと、先に切られる。切ったという情報は、切った後、0.01秒後に、脳が追認。随意反応も、不随意反応も、脳は追認するのみ。人間の行動は、まず反射で片付けられている。三島の割腹も、時代に反射して、瞬時に行われた。理屈付けは、後追い。後の祭り。人間は、生物の本能からは逃れられず、直観と感性で、瞬時を判断して生きる。初対面の相手も、瞬時に、好き嫌いを、直観と感性で、判断する。脳は、さかしらに、知ったかぶりして、因果を後付け。量子力学の世界には、理屈付けが無い。量子トンネル、重ね合わせ。
 
現象を現象として受け止め、証明は不可能。溶鉱炉の中で、何が起こっているか、いまだに謎。謎は謎として棚上げし、量子力学は、スマホ・GPSに応用される。理屈は分からないが、結果は裏切らない。要は、そういう結果が生じる宇宙に、マルチユニバースの中、たまたま居合わせたとしか、言いようがない。ラマルジャンは、数学の定理を、毎朝、何百と思いついたが、「ヒンズー教の女神が教えてくれた」というだけで、証明は一切しない、三島の割腹も、直観と感性に基づき、発作的に、チャンバラのように、遊びで腹を切った。東大剣道部の面タオルには、「於道遊(みちにあそぶ)」と染め抜かれている。
 
三島は真剣に手を出した。豊岡は真剣には、手を出さない。三島は真剣で割腹。豊岡は無刀取りを目指す。衆生とあがきもがき、ともに寄り添いながら、天命を生き切る。三島も豊岡も、文体は、言い切る。 断言し、決めつけ、思い込む。三島は豪華絢爛 。かたや、豊岡は質実簡素。三島は多弁。 豊岡は維摩一黙を目指す。三島は人恋しいが、迂闊には近付けず、豊岡は迂闊に近付いて火傷ばかり。三島は人との出会いは、慎重に吟味し過ぎ。豊岡は人との出会いに気軽にのめり込む。総理や大統領には、両者とも、興味は無い。裸一貫、一対一の人間勝負を挑む。東大駒場の全共闘は、一対一では勝負せず、AKBのように集団で三島に挑んだ。東大駒場の大教室。1000人:1人。
 
三島は片っ端から論破。曰く「君たちの言葉は、砂漠の言葉。誰の胸にも響かない。今日は君たちの砂漠の言葉に、心から弔辞を送る。」。ただ、寂しがり屋の三島は、全共闘の中に、Soul Mateと呼べるような友達を求めていた節もある。残念ながら、Soul Mateと呼べるような、魂のたぎりを持った人間は、全共闘には、いなかった。子供のような純粋さが、大人の緻密さ・論理性・冷たさと同居する。誰とでも、差しの人間勝負を挑むが、独り:多数も辞さない。
ー豊岡俊彦ー